![山野(やまの)中学校跡 [伊佐市]](https://retrojapan.jp/wp-content/uploads/2024/01/yamanochugakko.jpg)
山野(やまの)中学校 [平成27年閉校] 伊佐市立
鹿児島県伊佐市の大口小木原にある『山野(やまの)中学校 』は、「山野小学校・平出水小学校」の子どもたちが小学校を卒業したあとに進学していた中学校です。
山野(やまの)中学校の閉校式はいつ?
伊佐市立山野中学校は2015年(平成27年)3月末で閉校になりました。
閉校式は、同年3月22日(日曜日)に行われ、午前9時から「閉校式」、午前10時15分から「記念碑除幕式」、午前11時より「ありがとう山野中学校 感謝の集い」が挙行されました。
感謝の集い 会次第
1.開会のあいさつ
2.黙祷(亡師亡友へ)
3.感謝状贈呈
4.当時の思い出
5.思い出スライドショー
6.アトラクション
7.校歌斉唱
8.閉会のあいさつ
2015年(平成27年)4月1日から山野中校区の子どもたちは、同年閉校した「大口南(おおくちみなみ)中」、「大口(おおくち)中」校区の子どもたちとともに、新設された「大口中央(おおくちゅうおう)中学校」へ通っています。
山野(やまの)中学校の校歌
1.みそらはるけき 高千穂の
高きを仰ぐ 学び舎は
われらが中学 ああ山野
希望の歌が ここにわく
2.川内川の 澄むところ
花咲く自治の 学び舎は
われらが中学 ああ山野
誓いの鐘が ここに鳴る
3.勤労の意気 うけつぎて
若き芽生えの 学び舎は
われらが中学 ああ山野
未来の虹が ここにたつ
山野(やまの)中学校 [伊佐市] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 山野中学校 |
住所 | 〒895-2631 鹿児島県伊佐市大口小木原2032番地 |
閉校年月日 | 2015年(平成27年) |
沿革 | 1947年(昭和22年)- 六・三・三制の学制改革により山野町立山野中学校が開校。当初11学級を編成したが、校舎不足のため山野小学校・旧青年学校を仮校舎として発足 1948年(昭和23年)- 青年学校の廃校により校地・校舎を引き継ぎ小木原2032番地の3に移転 1954年(昭和29年)- 校歌・校旗を制定、山野町が合併し、大口市となったため大口市立山野中学校に改称 1957年(昭和32年)- 布計分校が独立。山野中学校同窓会発足 1961年(昭和36年)- 鉄筋校舎が完成 1965年(昭和40年)- プール建設 1976年(昭和51年)- 布計中学校が廃校となり、本校へ統合 1973年(昭和48年)- 鉄筋3階新校舎完成 1978年(昭和53年)- 武道館落成道場開き 1980年(昭和55年)- 体育館完成 1984年(昭和59年)- 校庭拡張工事完成 1997年(平成9年)- 創立50周年記念式典 2008年(平成20年)- 大口市と菱刈町が合併し、伊佐市立山野中学校に改称 2015年(平成27年)- 伊佐市立大口中央中学校が設置されるため、閉校 |
山野中学校の校舎の史跡

左ななめから眺めた山野中学校
山野中学校は、伊佐市の西側の山野地区にあった中学校です(小字は小木原地区)。
元々は、山野村からの山野町という自治体があり、そこの中心街にあったのが山野中学校です。

山野中学校の生徒が考えたマーク
学区的には、平出水小学校と山野小学校を卒業した子供たちが、次の山野中学校へと進学しました。

山野中学校校舎の裏側
1921年(大正10年)に山野駅が開業し、隣町の熊本県水俣市と、伊佐市の中心部(当時は大口)をつなぐ駅として、賑わっていました。
1988年(昭和63年)2月1日に、JR九州の山野線が全線廃止となったため、山野駅も廃駅となり、その後も伊佐市中心部以外は急激な過疎化が進んでいます。

山野中学校の校舎【出典:伊佐LOVE Facebook】
昭和の高度成長期には、山野の街は熊本県水俣市のほうから来る乗客が、大川ループ線をぐるっと通って峠を越えて、薩摩布計駅を通過して、ふもとにある山野駅におりてくるという風情のある情景が車窓から臨まれました。