早福(はいふく)分校 [志々伎小学校] 平成23年閉校
長崎県の廃校・校跡

早福(はいふく)分校 [志々伎小学校] 平成23年閉校

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『早福分校』は、長崎県平戸市早福町の「早福分校区」の子どもたちが通っていた「志々伎小学校」の分校です。

開校以来、創立105年の歴史を持ち、卒業生375名が巣立っていきました。

旧小学校跡地は、格安宿泊交流センター「まなび舎(まなびや)」として再利用されていました。

早福(はいふく)分校の閉校式はいつ?

平戸市立志々伎小学校の早福分校の閉校式は、2011年(平成23年)3月5日(土曜日)に、卒業式と同時にとりおこなわれました。

閉校式では、児童12名と卒業生や地域のみなさん、かつての教員もくわわって約150名が参加して挙行されました。

その後、本校長の式辞・平戸市長・教育長・閉校委員長・PTA会長があいさつをのべ、最後に児童代表が思い出を発表しました。

最後に、早福(はいふく)分校の校歌をみんなで、歌いました。

早福分校は、「志々伎(しじき)小学校」の分校でしたが、2004年(平成16年)に屏風岳の下をぬける「早福トンネル」が完成したため、志々伎小に通うよりも平戸市立「津吉(つよし)」小学校(田代町)へ通うほうが近いため、同年4月より、早福分校区の児童は平戸市立「津吉」小学校へ通っています。

早福(はいふく)分校の校歌
1.鎮守の森におさまりて
怒濤さかまく 玄海の
阿値賀の眺め たくましく
見おろすところ 我が校舎
育つ 育つ 早福分校

2.屏風が岳の 名峰は
鍛えられたる その姿
我らに精気 与えけん
高い理想を 抱きつつ
励む 励む 早福分校

3.祇園の浦の 海のごと
平和は我らの しるしなり
夕日に映えて 美しく
ビローの如く すこやかに
伸びる 伸びる 早福分校

早福(はいふく)分校 [平戸市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 早福分校
住所 〒859-5531 長崎県平戸市早福町229
閉校年月日 2011年(平成23年)
沿革 1874年(明治7年)- 早福分教場開校(旧山西氏宅)。
1906年(明治39年)- 早福分教場開校(里崎ミツヨ氏宅)。
1908年(明治41年)- 早福分校竣工開校。
1955年(昭和30年)- 町村合併および市制施行により「平戸市立志々伎小学校」の早福分校に改称。
1962年(昭和37年)- 高松神社境内に運動場新設。
1964年(昭和39年)- 体育室完成(へき地集会所)。
1968年(昭和43年)- 分校新築移転。
1970年(昭和45年)- 運動場拡張。
1981年(昭和56年)- 特別教室・管理棟完成(鉄筋2階)。
1989年(平成元年)- 新体育館が完成。
1998年(平成10年)- パソコン導入。
2001年(平成13年)- 新校舎が完成。
2006年(平成18年)- 新運動場が完成。
2010年(平成22年)- 図書システム導入。
2011年(平成23年)- 平戸市立津吉小学校への統合のため、早福分校を廃止。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

長崎県平戸市の早福町にある「平福分校」は、早福漁港をのぞむ小高い丘の上にあります。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

高松分校のすぐ隣には、氏神さまの「高松神社」があり、校舎へ向かう途中に鳥居、その奥に拝殿が見えました。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

神社をすぎると、さらに坂があり道沿いに体育館、特別棟があり、その奥に校舎が見えていました。体育館は1989年(平成元年)にできたものです。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

小窓から、体育館の中をのぞけました。舞台の反対側の2階には子どもたちの製作した絵が飾られていますね。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

体育館と特別棟の奥に「志々伎小学校早福分校」の学校名が書かれた本校舎がありました。

志々伎小学校早福分校

右の特別棟には、卒業生たちが卒業制作した木製の「学校銘板」が飾られていました。

志々伎小学校早福分校

本校舎側からみた特別棟とそこにかかる連絡橋です。特別教室がある棟は1981年(昭和56年)にできたものです。

志々伎小学校早福分校

本校舎の入り口です。こちらは、2001年(平成13年)にできたものでしょうか?

早福(はいふく)分校 [平戸市] のデータ

正面玄関です。バリアフリーになっていて車いすのままでも中に入れるスタイルになっていました。

早福(はいふく)分校 [平戸市] のデータ

本校舎の横から、運動場に出ました。2006年(平成18年)に新運動場が完成したようです。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

こちらは、運動場からみた早福分校の校舎です(閉校時)。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

こちらが、15年後の2026年(令和8年)に訪れたときの校舎の様子です。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

閉校後、早福分校の校舎はリフォームされ、お風呂とシャワーを設置し、格安早福交流センターまなび舎として活用されていたようです。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

校舎からは、東シナ海の海が見え、早福瀬などの小島がみえます。

平戸市立志々伎小学校早福分校の校舎

天気の良い日は、さらに沖合にある「阿値賀(あじか)島」も見えるのでしょうか?

早福(はいふく)分校がある場所

早福(はいふく)分校区がある場所は、平戸市の早福町です。

長崎県平戸島の南西部に位置し、町内の南東部に屏風岳=びょうぶだけ(標高:394m)、東部に佐志岳=さしだけ(標高:347m)があり、まちの中心には「早福漁港」を有している豊かな自然と海に囲まれた小さな港町です。

早福漁港では、伝統の「泳がせ釣り」や食物連鎖を利用した釣り「落とし込み」が遊漁船で楽しめます。

また沖合には、「上阿値賀(かみあぢか)島」、「下阿値賀(しもあぢか)島」の2島の無人島があり、国の天然記念物に指定されています。

北側は大佐志町、東側は鮎川町、南東側は無代寺町、南側は「大志々伎町」に隣接しています。

早福(はいふく)分校区の歴史

志々伎小学校の早福分校があった地区は、江戸時代には「津吉(つよし)村」のなかにあり、正保国絵図=しょうほうくにえず(幕府が命じて作らせた国絵図)では、集落は「はい福村」と記載されていました。

1656年(江戸時代・明暦2年)の「田方帳抜書=たかたちょうぬきがき(平戸藩が実施した検地をベースに作成された水田に関する土地台帳の抜粋)」では、志自岐村=しじきむら(現:志々伎町)内の「早福免」と書かれていました。

明治時代に入ると、早福(はいふく)免は、ほかの石堂免・浦志々伎免・大志々伎免・小田免・野子免の集落と合わせて「志々伎(しじき)村」となりました。

1955年(昭和30年)、志々伎村はほかの獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・中野村・平戸町と合併し、市制施行したため「平戸市」が誕生しました。

現在、早福分校区のある住所は、長崎県平戸市早福町となっています。

早福分校区の名所

早福分校区の名所

高松神社(画像出典:グーグルマップ)

高松神社

高松(たかまつ)神社は、早福分校地のすぐ隣にある平戸島八十八か所めぐりの、第四十四番の札所として有名な神社です。

灯篭などは、早福漁船団から寄付されており、漁村町の氏神として親しまれているようです。

2021年(令和3年)に、拝殿が改築され、その際には「改築記念大祭」と平戸大神楽=ひらどおおかぐら(長崎県平戸市などに伝わる伝統的な神楽)が奉納されました。

となりまちの志々伎町にも、同名の「高松神社」がございます。

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