本郷(ほんごう)分校 [大島西小学校] 昭和38年閉校
長崎県の廃校・校跡

本郷(ほんごう)分校 [大島西小学校] 昭和38年閉校

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『本郷(ほんごう)分校 』は、長崎県西海市の大島町のうち、黒瀬地区(本郷分校区)の子どもたちが通っていた大島西小学校の分校です。

本郷(ほんごう)分校は、いつ閉校した?

「大島町立大島西小学校本郷分校」は、1963年(昭和38年)に閉校となりました。[1]

閉校後の「本郷分校区」の子どもたちは、大島西小ではなく、大島町立「大島第三小学校」に通うことになりました。

大島第三小学校は1994年(平成6年)に大島東小学校と統合し、新しい大島東小学校となりました。その大島東小学校も2022年(令和4年)に閉校し、現在は大崎(おおさき)小学校の校区となっています。

本郷(ほんごう)分校の校歌はある?

本郷分校独自の校歌は確認できませんでした。こちらは、本校である大島西小学校の校歌です。

1.島岳に昇る朝日をあびながら
遠きつたえを新しく
受けつぎ集う われら西小
おお西小 その名誇らん

2.百合が岳 心に高く仰ぎつつ
文化のかてのとりいれに
はげみて集う われら西小
おお西小 その名たくまし

3.五島灘 夕日輝くその果ての
潮路のごとく限りなき
希望に集う われら西小
おお西小 その名たたえん

本郷(ほんごう)分校 [西海市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 本郷分校
住所 〒857-2401 長崎県西海市大島町黒瀬
閉校年月日 1963年(昭和38年)
沿革 1886年(明治19年)- 「簡易大島小学校」本郷分教場を設置。
1900年(明治23年)- 本郷分教場が分離し、本郷尋常小学校として独立。
1921年(大正10年)- 本校に黒瀬農業補習学校を併設。本郷尋常小学校には本郷実業補習学校が設置される。
1924年(大正13年)- 本郷尋常小学校を統合し、再び本郷分教場とする。
本郷実業補習学校が黒瀬実業補習学校に統合される。
1947年(昭和22年)- 学制改革で「黒瀬村立黒瀬小学校」本郷分教場を本郷分校とする。
1948年(昭和23年)- 本郷分校の校舎を改築し、運動場を拡張。
1955年(昭和30年)- 本郷分校の収容学年を3年生までとし、4年生を本校に収容。
1963年(昭和38年)3月31日 – 本郷分校を廃止。校区が改定され、本郷分校の児童は大島町立大島第三小学校に収容される。
1974年(昭和49年)- 創立100周年を記念して、本郷分校跡に記念碑を建立。[1]

大島町立本郷分校の校舎

大島町立本郷分校の校舎

本郷分校跡がある黒瀬地区は、黒瀬漁港がある大島(西彼大島)の北東端です。

大島町立本郷分校の校舎

画像出典:グーグルマップ

黒瀬農協前のバス停の横には、「川原一男先生 顕彰碑」と書かれた立派な石碑が設置されていました。

大島町立本郷分校の校舎

「大島町の学校教育この地で始まる」と書かれた石碑が、跡地前の右手に置かれていました。

学校沿革によると、1874年(明治7年)には黒瀬で塾式の学校が開かれ、地域の子どもたちへの教育が始まっています。この石碑は、その歴史を伝えるものなのでしょう。

大島町立本郷分校の校舎

本郷分校跡とされる場所へ上っていく坂道です。右手に、二宮金次郎(尊徳)像が置かれていました。分校時代から残されているものでしょうか。

大島町立本郷分校の校舎

1963年(昭和38年)に閉校され、すでに60年以上が経過していることから、土地区分的にも大きく変動していることでしょう。

西海市の資料では、2018年度に旧本郷分校の家屋が解体されたことが記録されています。[2]

大島町立本郷分校の校舎

坂の上まで登り切りましたが、そこには一軒の民家と横に少しのスペースがありました。

大島町立本郷分校の校舎

この敷地に、本郷分校があったのか、坂の下にあったのか定かではありませんが、当時の学校風景に思いを馳せることはできます。

大島町立本郷分校の校舎

本郷分校跡地からの下り坂です。坂の上からは、黒瀬集落を見渡すことができます。

大島町立本郷分校の校舎

坂をおりると、目の前はもう海。さらに向こう側には「大島造船所」が見えます。

バス停の名前である「黒瀬農協」は、今はもうありません。

本郷(ほんごう)分校があった場所

本郷(ほんごう)分校がある場所

大島造船所も見える黒瀬の集落

本郷分校があった場所は、黒瀬漁港がある「大島町黒瀬(くろせ)」です。

黒瀬地区は、大島(西彼大島)の北東の端に位置し、北東沖には中ノ島・端ノ島が浮かんでいて、入江には「黒瀬漁港」があります。

1889年(明治22年)に黒瀬村が発足したころ、黒瀬地区は島の中心地の一つでした。「本郷」という言葉には、一般に「最初に開けた土地」という意味があります。

その後、1935(昭和10)年に「大島炭鉱」の開発が本格化すると、多くの人が島へ移り住み、中心地は炭鉱のある「間瀬(ませ)本町地区」へと移り変わっていきました。

1970年(昭和45年)の大島炭鉱閉山以降は、黒瀬地区からも見える「大島造船所」が1973年(昭和48年)に馬込東地区に設立され、あらたな雇用を生んでいます。[3]

ちなみに大島の西側にある崎戸島(崎戸町)には「本郷」という地名が現存しています。

本郷分校区の歴史

本郷分校区がある黒瀬地区は、江戸初期には「大島のうち」とだけ記載されることが多く、1644年(江戸時代・正保元年)に、大村藩主の大村純信がここに「黒瀬番所(吹切番所)」を建て、異国船・漂流船・抜荷の監視をおこないました。

また、キリシタンであることが発覚した武士や、年貢を使い込んだ者、殺人などの罪を犯した者が、流刑によって黒瀬へ送られたといわれています。[4]

1889年(明治22年)町村制の施行により、大島にあった本郷(黒瀬郷)・大島郷・寺島郷・間瀬郷・蛤郷・徳万郷・太田尾郷・中戸郷・塔尾郷・塩田郷の10の郷が合わさり、単独村制の自治体「黒瀬(くろせ)村」として発足しました。

1949年(昭和24年)4月1日に黒瀬村が町制を施行して「黒瀬町」となり、同年7月1日に「大島(おおしま)町」と改称しました。

2005年(平成17年)、大島町はほかの西彼町・西海町・崎戸町・大瀬戸町と合併して、「西海(さいかい)市」が誕生しました。[5]

現在、本郷分校があった場所は、現在の長崎県西海市大島町黒瀬にあたります。

本郷分校区の名所

本郷分校区の名所

宮崎神社

宮崎神社

本郷分校校区内にある「宮崎(みやざき)神社」は、1694年(江戸時代・元禄7年)に建てられた、大島町内2番目に古い神社で、黒瀬郷の鎮守の社です。

創建当初は、「塩釜大明神」ととなえ、塩釜大明神と彫名した木鏡がご神体として安置されています。

その後、明治元年の神仏分離令で、塩釜大明神と名乗れなくなり1870年(明治3年)に、宮崎神社とあらため、祭神を大巳貴命(大国主命)と改祭しました。

8月10日には、無病息災と五穀豊穣を祈願して「千灯篭」がおこなわれ、11月下旬には「神待ち」の行事があり、平戸方面にむかって火を焚き、出雲から帰る神様を迎えます。[7]

この行事は、黒瀬地区代表の行事として、地区をあげて大切に取り組み引き継がれています。

参考資料・出典

[1] ウィキペディア 西海市立大島西小学校
[2] 西海市「西海市公共施設等総合管理計画」
[3] 長崎県「第2節 第2次産業と地域」
[4] 日本歴史地名大系「黒瀬村」の解説
[5] ウィキペディア 西彼杵郡
[6] 広報さいかい 2024年1月号 宮崎神社神待祭
[7] 宮崎神社境内案内板(平成10年8月大島町設置)

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