幸物(こうぶつ)分校 [雪浦小学校] 平成25年閉校
長崎県の廃校・校跡

幸物(こうぶつ)分校 [雪浦小学校] 平成25年閉校

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『幸物(こうぶつ)分校 』は、長崎県西都市の大瀬戸町のうち、雪浦幸物郷(幸物・山手・藤原地区)の子どもたちが通っていた雪浦小学校の分校です。

幸物(こうぶつ)分校の閉校式はいつ?
幸物(こうぶつ)分校の閉校式はいつ?

幸物分校閉校式(プライバシー保護のため顔にぼかしを入れています)

「西海市立幸物分校学校」は、2013年(平成25年)3月31日で閉校しました。

閉校にさきがけて、同年2月17日(日曜日)の午前10時から、学習発表会にあわせて閉校記念のセレモニーが開催されました。

内容は、学校長・実行委員会のあいさつ、児童の発表にくわえて「50年前のビデオ紹介」、幸物分校の写真と年間行事写真・幸物分校歴史など調査表が掲示されました。

そして、同年3月22日(金曜日)午前11時からは、雪浦小学校幸物分校の体育館にて「閉校式」がとりおこなわれました。

閉校式 内容

国歌斉唱
学校長式辞
市教育委員告辞
児童代表あいさつ
校旗返納
校歌斉唱
閉校宣言など

閉校式のあとには、午前10時30分から「タイラのつどい(実行委員長あいさつ・お別れ交流会・学校長あいさつ等)」が同体育館にて開催されました。

2013年(平成25年)4月1日より、幸物分校校区の子どもたちは、本校の雪浦小学校ではなく、同年閉校した瀬戸小・松島小・多以良小の児童たちとともに新設開校した「大瀬戸小学校」へ通っています。

幸物(こうぶつ)分校の校歌
幸物(こうぶつ)分校の校歌

掲揚台の石碑に刻まれた幸物分校校歌の歌詞(創立50周年記念)

1.山気は清し 飯盛の
霊気を受けて 人となる
名も幸物に あやかりて
幸ある里に 光あり

2.音無川の せせらぎに
むせる心も 静もりて
むつみかわして 幾年ぞ
我が学び舎に 幸多し

3.小麦の里に 見はるかす
山並みはるか 朝夕に
学びの道に 励み来し
ああ幸物に 栄あれ

幸物(こうぶつ)分校 [西海市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 幸物分校
住所 〒857-2321 長崎県西海市大瀬戸町雪浦幸物郷248−2
閉校年月日 2013年(平成25年)
沿革 1934年(昭和9年)- 幸物・山手・藤原地区の尋常4年生までの児童を収容して授業を開始する。
1936年(昭和11年)4月 -「雪浦尋常高等小学校 幸物分教場」となる。
1941年(昭和16年)4月 – 国民学校令の施行により「雪浦村国民学校 幸物分教場」に改称。
1947年(昭和22年)4月 – 学制改革により「雪浦村立雪浦小学校 幸物分校」に改称。1~6年生を収容し2学級編成とする。
1954年(昭和29年)- 電気を導入。
1955年(昭和30年)2月 – 大瀬戸町の発足により「大瀬戸町立雪浦小学校幸物分校」に改称。
1956年(昭和31年)- 校舎を増築し、3学級編成となる。
1961年(昭和36年)- 運動場を拡張。
1962年(昭和37年)- へき地集会所が完成。
1963年(昭和38年)- 脱脂粉乳給食を廃止しミルク給食が始まる。
1964年(昭和39年)- 5学級編成となる。
1966年(昭和41年)- 4学級編成。創立30周年記念式典を行う。記念碑建立。校歌制定。ピアノ寄贈。
1978年(昭和53年)- 分校に教頭が配置される。
1979年(昭和54年)- 新校舎、新運動場が完成。
1985年(昭和60年)- 創立50周年記念式典を行う。
1993年(平成5年)- 給食センター設置に伴い、完全給食を実施。
1995年(平成7年)- 体育館・教頭住宅新築落成・校舎水洗化工事完成。
2005年(平成17年)4月 – 西海市の発足により「西海市立雪浦小学校幸物分校」と改称。
2013年(平成25年)3月31日 – 閉校。[1]

[1] 出典:Wikipedia・広報さいかい

西海市立幸物分校学校の校舎

西海市立幸物分校学校の校舎

幸物(こうぶつ)分校の校舎は、1979年(昭和54年)に建てられた2階建てコンクリート造の建物です。

西海市立幸物分校学校の校舎

校地が狭い高台の上に校舎が建っているため、下からのぞいても見えませんし、近くにきても遠巻きで建物を見ることはできませんでした。

ドローンなどを使い高いところから撮影すると、建物全体のすてきなデザインが堪能できそうです。

西海市立幸物分校学校の校舎

しっかりと、学校名が書かれた銘板も残っていました。

西海市立幸物分校学校の校舎

窓をのぞくと、当時の風景そのまま残っていますね。

西海市立幸物分校学校の校舎

こちらは校門です。

西海市立幸物分校学校の校舎

別角度から、校舎をながめてみました。分校ですがかなりいろいろな教室があり、充実した授業環境だったのでしょうね。

西海市立幸物分校学校の校舎

運動場の階段からのぞむ体育館です。こちらは、1995年(平成7年)に完成しました。

西海市立幸物分校学校の校舎

窓からのぞいた体育館内です。まだ新しいですね。

西海市立幸物分校学校の校舎

運動場の遊具もまだ残っていました。ブランコだけあぶないので上で括られている感じでしょうか。

西海市立幸物分校学校の校舎

幸物分校の児童が体育倉庫の壁に描いた絵です。かわいいですね。

西海市立幸物分校学校の校舎

1961年(昭和36年)に拡張された運動場も、ちょうどよい広さです。

西海市立幸物分校学校の校舎

運動場からのぞむ、山々です。この山を越えれば西彼町鳥加郷です。

山に囲まれながら、子どもたちが育っていったことがうかがい知れる風景ですね。

西海市立幸物分校学校の校舎

学校周りには、卒業生が残した卒業制作がありました。

西海市立幸物分校学校の校舎

こちらは、幸物分校の閉校記念碑と在校生が作った「校歌」の歌詞が刻まれた壁画です。閉校記念の製作は、とてもよい思い出になったことでしょう。

幸物(こうぶつ)分校がある場所

 

幸物分校学校がある場所は、長崎県西海市の大瀬戸町の雪浦幸物(こうぶつ)郷です。

幸物郷は、7キロほど山奥に入った山間部の集落で、かつて20205年(令和7年)4月16日まで、さいかい交通のバスのバス路線が「白藤橋バス停」から支線として、幸物橋・児童館入口・集荷場前・旧幸物分校前・幸物の終点まで通っていました。

大瀬戸の海岸線から、山をのぼって「雪浦ダム」を越えると、清らかで豊かな水流が人気の「幸物河川公園」があります。

さらに県道229号線をのぼっていった先には、標高239.24 mの場所に「雪浦小学校幸物分校」、終点の幸物バス停近くには「五陽開拓牛生産組合・坂本畜産」などの黒毛和牛の牧場が広がっています。

山間部の山あいの集落「幸物・藤原・山手地区」の周辺の山中・雪浦川上流には、滑石(かっせき)の層がひろがり、平安時代末期から中世にかけて日本各地に流通した「滑石製石鍋」の生産地であったことを残す遺跡も多く発見されています。

地区の北側には、瀬戸下山郷・西彼町平山郷があり、北西側には西彼町鳥加郷、東側は琴海形上町、南側は長崎市神浦北大中尾町、南西側は雪浦河通郷、西側は雪浦奥浦郷に隣接しています。

幸物分校校区の歴史

幸物分校校区は、中世より「雪ノ浦」などと記され、江戸時代には肥前大村藩の領下「雪浦村」のうちとされていました。

明治維新後、1889年(明治22年)に町村制の施行により、幸物郷は、奥浦郷・上郷・久良木郷・河通郷・小松郷・下郷・下釜郷といっしょに単独自治体として「雪浦(ゆきのうら)村」を誕生させます。

1955年(昭和30年)2月11日に、雪浦村は西彼杵郡の瀬戸町・松島村・多以良村と合併して新設「大瀬戸(おおせと)町」が発足します。

2005年(平成17年)、大瀬戸町は西彼町・西海町・大島町・崎戸町と合併し、「西海(さいかい)市」が誕生しました。

現在、幸物分校学校がある校区の住所は、長崎県西海市大瀬戸町の雪浦幸物郷となっています。

幸物分校校区の名所

幸物分校校区の名所

幸物河川公園(画像出典:グーグルマップ)

幸物河川公園

「幸物河川公園(こうぶつかせんこうえん)」は、幸物分校学校校区の幸物郷にある雪浦ダムの上流に位置する河川公園です。

夏場は、川・水遊びなどを楽しむ子供や、家族連れでにぎわいます。

きれいな水流に恵まれ、夏休みなどのシーズンでなければあまり人がいないので、のんびり弁当を食べたり景色を楽しんだり、静かに木陰で読書したりするのによいスポットです。

一応トイレはありますが、駐車場は整地していないので、おのおのが気を配って停める必要があります。

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西海市とその地域 [長崎県]
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