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主師 (しゅうし)分校 [中野小学校] 平成18年閉校
『主師分校』は、長崎県平戸市の「主師分校区(主師・小主師・山野地区)」の子どもたちが通っていた「中野小学校」の分校です。
跡地にあった校舎はすべて解体され、鉄棒とジャングルジムなどの遊具が一部残されています。
主師 (しゅうし)分校の閉校式はいつ?
平戸市立中野小学校の主師分校は、2006年(平成18年)3月31日で閉校になりました。
同年4月より、主師分校区の児童は本校である「中野(なかの)小学校」に通っています。
主師 (しゅうし)分校の校歌
主師分校は、平戸市立中野小学校の分校ですので、本校の校歌を歌いました。
主師 (しゅうし)分校 [平戸市] のデータ
| 住所・閉校年月日・沿革 | |
| 名称 | 主師分校 |
| 住所 | 〒859-5142 長崎県平戸市主師町 |
| 閉校年月日 | 2006年(平成18年) |
| 沿革 | 1902年(明治35年)- 主師分教場を設置。 1955年(昭和30年)- 町村合併および市制施行により「平戸市立中野小学校」の主師分校に改称。 2002年(平成14年)- 主師分校100周年記念式典を挙行。 2006年(平成18年)- 中野小学校に統合のため、主師分校閉校。 |
平戸市立中野小学校主師分校の校舎

主師公民館(出典:グーグルストリートビュー)
中野小学校の主師(しゅうし)分校跡は、県道19号平戸田平線から、写真の主師公民館前より中野漁港(主師地区)へくだっていく途中にあります。

現在は、建物(校舎)がすべて解体され空き地となっていました。

校跡に唯一残っていたのが遊具で、この鉄棒もそのひとつです。

ジャングルジムも残っていましたが、ツタに絡まれ遠巻きでみると何かわからなかったです。

主師分校の校地からは、東シナ海(玄界灘)が見えました。

鉄棒側からみた、主師分校のグラウンドです。学校のまわりには、山野・主師・小主師の集落があり、山野集落は、江戸時代前中期までは平戸藩の馬牧の範囲でしたが、江戸後期になると五島列島から外海(そとめ)系のかくれキリシタンが、小主師(現・中野漁港)から上陸して畑でサツマイモや、野菜・麦を作り、山から切り出した薪(まき)や野菜を生月島に売り暮らしを立てていました。
ほぼ全戸がカトリック信徒といわれています。
出典:平戸市生月町博物館「島の館」ホームページ

校舎が建っていたであろう、石塀の前です。

学校によくあるソテツと、校門へ続く階段のようなものが残っていました。
主師 (しゅうし)分校がある場所
主師 (しゅうし)分校区がある場所は、長崎県平戸市の主師町です。
平戸島の西部に位置し、生月町のある生月島を結ぶ「生月大橋」の手前(平戸島側から)にある地区で、海側の小主師と主師にはそれぞれ「中野漁港」を有し
主師町の東部は、箕坪ダムと箕坪城址があり、南部には安満岳=やすまんだけ(標高530m)がそびえています。
町内には、山野カトリック教会・蓮池神社・白山比賣神社・比咩神社の神社・教会が点在しています。
主師 (しゅうし)の地名の由来
「主師」という地名は大変珍しく、全国でも長崎県平戸市にしか存在しておりません。
由来を明記するものは、現時点では見つけられていませんが、主師(しゅし)とは仏教用語で「人々を守護し、導き教化する、存在」を意味し、また、衆生=しゅじょう(いっさいの生きとし生けるもの)を守護する主の徳、衆生を導く師の徳、衆生を慈愛する親の3つの大事な徳を総称する「主師親三徳」という仏教用語も存在しています。
安土桃山時代には、すでに「主師村」と呼ばれていましたが、江戸時代に入ると「志うし」という地名になっていたようで、どちらかが当て字かもしれません。
江戸時代後期に入ると、カトリック信徒のかくれ里(小主師と山野集落)の様相を呈してきますが、その時代にできた地名ではないのでキリスト教の影響を受けた地名ではありません。
仏教用語のような地名が、その後違った宗教であるキリスト教徒の方が多く住む地域になるとは、とても不思議な感覚ですね。
主師 (しゅうし)分校区の歴史
中野小学校の主師(しゅうし)分校があった地区は、主師と小主師(こじゅうし)・山野などの集落から構成され、
室町時代、北東部に平戸松浦氏の支城=しじょう(本城を補佐するために領内各地に設けられた出城・砦)が築かれていました。
1584年(安土桃山時代・天正12年)に初めて「平戸主師村」という集落名が、「参宮人帳(橋村肥前太夫家伝来)」に記されました。
江戸時代には、平戸藩平戸筋に属し中野村の集落として存在していました。1647年(江戸時代・正保4年)の正保国絵図=しょうほうくにえず(江戸幕府が諸大名に国単位で作らせた国絵図)には「志うし」と書かれていました。
1889年(明治22年)、中野(なかの)村が単独村制で発足しました。よって、中野村主師となりました。
1955年(昭和30年)、中野村はほかの獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村・平戸町と合併し、市制施行したため「平戸市」が誕生しました。
これと同時に、自治体としての「中野村」は消滅し、現在、主師分校区のある住所は、長崎県平戸市主師となっています。
主師分校区の名所

山野カトリック教会(画像出典:グーグルマップ)
山野カトリック教会
山野(やまの)カトリック教会は、長崎県平戸主師町の山野集落にある教会です。
山野集落の先祖は、禁教時代に「西彼杵・五島」から迫害をのがれてやってきた人たちです。
江戸時代(文政年間)に、平戸島に住み着いたと言われています。そして、1887年(明治20年)にラゲ神父と信徒によって最初の教会が建てられ、1924年(大正13年)に現聖堂が建築されました。
様式は、外海地方の黒崎教会を手本にしたリブ・ヴォールト天井(交差するアーチを骨組み(リブ)とし、そのすきまに石・レンガ(セル)を詰めて構成されたゴシック建築を代表する様式)となっています。
1979年(昭和54年)に前面が増築され、屋根の上に八角の尖塔が加えられ、2000年(平成12年)にも改築がくわえられたため、外壁は板張りでありません。
出典:平戸観光協会ホームページ


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