宝亀(ほうき)小学校 [平成23年閉校] 平戸市立
長崎県の廃校・校跡

宝亀(ほうき)小学校 [平成23年閉校] 平戸市立

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『宝亀(ほうき)小学校 』は、長崎県平戸市の「宝亀小校区」の子どもたちが通っていた小学校です。

跡地にある「宝亀小」の校舎は、一部をのぞいて解体され、一部は平戸市教育支援教室「のぞみ」などに再利用されています。

宝亀(ほうき)小学校の閉校式はいつ?
宝亀(ほうき)小学校の閉校式はいつ?

宝亀小閉校式(プライバシー保護のため人物の顔にはぼかしを入れています)。

平戸市立宝亀小学校の閉校式は、2011年(平成23年)3月13日(日曜日)にとりおこなわれ、卒業生・かつての教職員・地域のみなさんなど約350名が参加しました。

児童代表が「宝亀小での思い出」を発表し、最後にみんなで校歌を合唱し、閉幕しました。

そして、130年(明治14年開校)の長い歴史を経て、2330人あまりの卒業生(最後の児童在校生は24名)を世に送り出し、同年3月31日に閉校しました。

同年4月1日より、宝亀小校区の子どもたちは「紐差(ひもさし)小学校」へ通っています。

宝亀(ほうき)小学校の校歌
1.小島の影も 美しく
緑にすめる 入り海を
光明るい 窓に見て
学ぶよわれら わが宝亀
磨くよわれら わが母校

2.雲わき上がる 裏山の
あふれる生気 身に受けて
やればできるの 意気高く
きたうよわれら わが宝亀
伸びるよわれら わが母校

3.歴史も古い 亀石の
誇りを胸に あすの日の
夢も楽しい 丘の上
集うよわれら わが宝亀
歌うよわれら わが母校

宝亀(ほうき)小学校 [平戸市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 宝亀小学校
住所 〒859-5366 長崎県平戸市宝亀町1148
閉校年月日 2011年(平成23年)
沿革 1881年(明治14年)- 法樹寺の一部を借り受け・紐差村小学校公立宝亀分校を開校。
1884年(明治17年)- 宮崎免に敷地を移し・校舎新築落成 簡易宝亀尋常小学校と改称。
1893年(明治26年)- 紐差校より独立し宝亀尋常小学校と改称。
1917年(大正6年)- 高等科を併設し・宝亀尋常高等小学校と改称。
1941年(昭和16年)- 紐差村宝亀国民学校と改称。
1947年(昭和22年)- 紐差村立宝亀小・中学校と改称。
1955年(昭和30年)- 平戸市立宝亀小学校と改称 平戸市立宝亀中学校を新設。
1958年(昭和33年)- 中学校統合による小学校だけの独立校。
1966年(昭和41年)- 新校舎竣工(4月移転)。
1968年(昭和43年)- 校歌制定。
1981年(昭和56年)- 創立百周年記念式典 新校旗制定 庭園落成。
1998年(平成10年)- 複式学級編制(4・5年)の始まり。
2003年(平成15年)- 複式学級2学級編制。
2007年(平成19年)- 完全複式学級編制(3学級)。
2008年(平成20年)- 複式2学級・普通学級2学級編成。
2009年(平成21年)- 完全複式の学級編成及び特別支援学級の新設。
2011年(平成23年)3月31日 – 紐差小学校に統合のため閉校。

平戸市立宝亀小学校の校舎

平戸市立宝亀小学校の校舎

宝亀小学校の校舎は、長崎県平戸市宝亀町の、宝亀漁港から高台(標高:41.94 m)の場所に校舎が建っていました。

写真は、閉校記念碑にあった航空写真をAIにてよみがえらせたものです。道路をはさんで南側に校舎があり、北側の体育館と連絡橋でつながっていることがわかります。

平戸市立宝亀小学校の校舎

こちらの写真は、校舎がすべてあったころの当時の学校ホームページより、AIでよみがえらせたものです。現在は、一番右端の階段付きの棟だけ残されています。

平戸市立宝亀小学校の校舎

宝亀小学校の学校銘板と「オアシス運動」の看板が残されていました。

平戸市立宝亀小学校の校舎

現在は、このように1966年(昭和41年)竣工の鉄筋校舎の右端(正面玄関からみて東側)部分だけ、保存されていました。

平戸市立宝亀小学校の校舎

当時の趣きを残す、大事な校舎として保存していただきたいですね。

平戸市立宝亀小学校の校舎

宝亀小学校があったころの教室と同じ、内装です。

平戸市立宝亀小学校の校舎

現在は、平戸市適応指導教室「のぞみ」として、再利用されているようです。

平戸市立宝亀小学校の校舎

2階の屋外階段の踊り場も、そのまま残っていました。

平戸市立宝亀小学校の校舎

こちらは、道路を隔てた北側にある体育館で、1976年(昭和51年)に落成したものです。

平戸市立宝亀小学校の校舎

宝亀小学校の閉校記念碑が見つかりました。校歌が書かれています。

平戸市立宝亀小学校の校舎

近くには、創立百周年の記念碑も建立されていました。

平戸市立宝亀小学校の校舎

体育館脇には、卒業生たちの卒業制作が残されていました。

宝亀(ほうき)小学校がある場所

宝亀(ほうき)小学校がある場所は、長崎県平戸市の宝亀町です。

平戸島の中部に位置し、九州本土から「平戸大橋」を渡って、車で20分の距離にあります。

校舎近くには、平戸でいちばん古い天主堂がある「カトリック宝亀教会」があり、地区の宝亀漁港からも、くっきりとオレンジと白の建物が確認でき、地元民の信仰のシンボルになっていることがうかがえます。

美しい自然に囲まれた環境で、東部は北側に「京崎」、南側に「神鳥・黒島」がつくる広い入江があり、鬼子島・前ノ島・平子島が浮かんでいます。

宝亀小校区の歴史

宝亀(ほうき)小学校がある校区は、中世には宇野御厨=うののみくりや(神社や神棚で神様にお供えする飲食物を調理する場所)の保々木(ほおき)と表記され、室町時代には「雨蘇(うそ)村」と書かれていました。

宝亀(ほうき)の地名由来

「宝亀」は、日本全国で探しても長崎県平戸市の宝亀町しか存在していない貴重な地名です(元号と苗字には採用されています)。

もともとは、保々木(ほおき)と呼ばれていた集落に、肥前国平戸藩の第10代藩主「松浦熈(まつうらひろむ)」が、この地にあった亀石を見て

「世の塵(ちり)をはらいつくせる宝亀かな 村の宝と拝(おが)め尊(とうと)べ」と読んだことが、地名を「保々木」から「宝亀」に改めるきっかけになったといわれています。

宝亀の神鳥地区(現:宝亀漁港)は、古くから漁師町として栄えましたが、16世紀半ばから17世紀初頭(室町時代・戦国時代)にはイエスズ会宣教師の書簡において、教会や慈悲の組についての地名記述が確認できるところから、宣教師がこの港を使って、往来していたことが想像できます。

江戸時代に入ると、宝亀地区の「神鳥(かんどり)」に、五島・外海地方のカトリック信徒が弾圧をのがれ、一部移住してきます(宣教によって、現地民が改宗した信徒もいました)。

そして江戸時代中には、下方(しもがた)村のうち「宝亀(ほうき)」を経て、肥前平戸藩の「宝亀村」と表記されます。

1889年(明治22年)の町村制の施行で、宝亀村は旧紐差村と合併し新設「紐差(ひもさし)村」が誕生しました。

1955年(昭和30年)、紐差村はほかの平戸町・中野村・獅子村・中津良村・津吉村・志々伎村と合併し、市制施行して「平戸(ひらど)市」がつくられました。

現在、宝亀小学校がある校区の住所は、長崎県平戸市の宝亀町となっています。

出典:おらしょこころ旅ホームページ・平戸学ホームページ

宝亀小校区の名所

宝亀小校区の名所

宝亀カトリック教会(画像出典:グーグルマップ)

宝亀カトリック教会

宝亀小校区には、平戸島でもっとも古い教会である「宝亀(ほうき)カトリック教会」があります。

1885年(明治18年)に、京崎地区に仮教会が設けられ、その後、マタラ神父が自ら指導し、1898年(明治31年)に宝亀湾を見下ろす高台(現在地)に「宝亀教会」が建立されました。

聖堂の基礎は石造、外壁はレンガ造、屋根は瓦ぶき、教会内はヴォールト天井(コウモリ天井)で、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会の1つとして有名です。

教会自体は、かなり小さく光がよく入るとステンドグラスがより美しく輝きます。

出典:平戸市観光協会ホームページ

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