中津良(なかつら)小学校 [平成30年閉校] 平戸市立
長崎県の廃校・校跡

中津良(なかつら)小学校 [平成30年閉校] 平戸市立

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『中津良(なかつら)小学校 』は、長崎県平戸市の上中津良町・下中津良町・敷佐町・猪渡谷町(一部)に住む「中津良小校区」の子どもたちが通っていた小学校です。

平成27年度までに、総勢4308名が卒業し、ピーク時には在校生505名(堤分校あわせて)を記録しましたが、過疎化と少子高齢化により児童数は年々減少し、閉校時の在校生は26名でした。

中津良(なかつら)小学校の閉校式はいつ?
中津良(なかつら)小学校の閉校式はいつ?

中津良小学校閉校記念碑

143年の長きにわたり続いた「平戸市立中津良小学校」の閉校式は、2018年(平成30年)2月24日(土曜日)にとりおこなわれ、26名の児童にくわえ、平戸市内外から歴代の先生や卒業生など約300人が出席しました。

式典で校長先生は「制度としての中津良小学校は無くなりますが、皆さんの心の中から無くなることはありません。たとえ、この校舎が無くなっても、また中津良の地を離れても、皆さんの心に、ふと本校で過ごした日々を思い出した時に、中津良小学校は皆さんの心の中にあらわれます。」とのべられました。

その後、全校児童による「お別れの言葉」が発表され、最後には会場全員で「中津良小学校校歌」を熱唱し、143年の長い歴史に幕を閉じました。

同年4月1日より、中津良小校区の子どもたちは「津吉(つよし)小学校」へ通っています。

中津良(なかつら)小学校の校歌
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中津良(なかつら)小学校 [平戸市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 中津良小学校
住所 〒859-5504 長崎県平戸市下中津良町409
閉校年月日 2018年(平成30年)
沿革 1874年(明治7年)- 中津良小学校開校。
1887年(明治20年)- 中津良尋常小学校と改称。
1905年(明治38年)- 中津良尋常高等小学校と改称。
1913年(大正2年)- 校舎増築(平屋)。
1928年(昭和3年)- 校舎改築。
1962年(昭和37年)- 中津良小学校堤分校廃止。
1972年(昭和47年)- 校舎改築(鉄筋2階建・教室棟完成)。
1975年(昭和50年)- へき地集会所(体育館)建設。
1977年(昭和52年)- プール建設。
1979年(昭和54年)- 校舎改築(鉄筋2階建・管理棟完成。
1980年(昭和55年)- 中津良小学校猪渡谷分校廃止。
2018年(平成30年)3月31日 – 津吉小学校に統合のため閉校。

平戸市立中津良小学校の校舎

平戸市立中津良小学校の校舎

中津良(なかつら)小学校の校舎は、鉄筋コンクリート造の2階建てで1979年(昭和54年)に改築して作られたものです(写真は閉校時)。

平戸市立中津良小学校の校舎

こちらが8年後の2026年(令和8年)に訪れた際の、旧中津良小学校校舎です。現在は「中津良保育所」として再利用されています。

平戸市立中津良小学校の校舎

国道383号線沿いの校舎の裏に、もう1棟、校舎が建っていたのですが今は解体され、保育所の園庭となっていました。

平戸市立中津良小学校の校舎

壁には、卒業生たちの卒業制作が書かれています。

平戸市立中津良小学校の校舎

園庭からみた残された校舎の裏側です。

平戸市立中津良小学校の校舎

中津良保育園からみた運動場側の風景です。右手に体育館が見えます。

平戸市立中津良小学校の校舎

この体育館は、1975年(昭和50年)に完成されたものです。

平戸市立中津良小学校の校舎

かなり大きな運動場ですね。

平戸市立中津良小学校の校舎

現駐車場の場所の壁画にも、卒業制作とおもわれる絵が描かれていました。ここはもともとプールだったのでしょうか?

平戸市立中津良小学校の校舎

閉校記念碑も、国道383号線沿いに建っています。

平戸市立中津良小学校の校舎

校舎東側から見た眺めです。解体されず、そのまま校舎が使われているのはうれしいですね。

平戸市立中津良小学校の校舎

道路をへだてて、向かい側には「中津良郵便局」がありました。

中津良(なかつら)小学校がある場所

中津良(なかつら)小学校がある場所

中津良小校区(画像出典:農業集落境界の閲覧)

中津良(なかつら)小学校がある場所は、長崎県平戸市の下中津良(しもなかつら)町です。

校区は、下中津良町のほかに、上中津良(かみなかつら)町・敷佐(しきさ)町・猪渡谷(いとや)町の一部の地区で構成されています。

中津良は、平戸島の西部にある自然豊かな地域で、かつては北松浦「中津良村」でしたが、昭和の大合併で平戸市となりました。

南側は「津吉(つよし)町」、神ノ川町、神船町に面し、北側は有僧都岳=うそうづだけ(標高:351m)を越えると草積町、東側は慈眼岳=じげんだけ(標高372m)を越えると大川原町、船木町、西側は若宮浦を介し東シナ海(玄界灘)へつながっています。

おもな産業は、農業と漁業で、のどかな里山風景が広がっています。中央に流れる中津良川は、ホタルの里として知られ5月中旬から6月上旬ごろには数千匹のホタルが舞います。

神社仏閣は、白岳のふもとにある「白岳神社」や、離れ小島にある「西浜淀姫神社(猪渡谷地区)」などが有名です。

中津良小校区の歴史

中津良小校区は、江戸時代には肥前平戸藩の領下で、当初は「南の津吉村」のうちとされていました。

その後、平戸市南部をさす「大津吉(おおつよし)村」の中央を意味することから、中津良(なかつら)と呼ばれるようになったといいます。

1647年(正保4年)~1648年(慶安初年)ごろ完成された正保国絵図=しょうほくにえず(江戸幕府の命令で作成された国絵図)には、「中津浦(なかつうら)村」と記載されていました。

1889年(明治22年)には、町村制が施行され、上中津良免・下津良免・敷佐免・猪渡谷(いとや)免は、ほかの堤(つつみ)免とあわせて、自治体「中津良(なかつら)村」が発足しました。

1955年(昭和30年)、中津良村はほかの平戸町・中野村・獅子村・紐差村・津吉村・志々伎村と合併し、市制施行して「平戸(ひらど)市」がつくられました。

現在、中津良小学校がある校区の住所は、長崎県平戸市の上中津良町・下中津良町・猪渡谷町・敷佐町となっています。

中津良小校区の名所

中津良小校区の名所

白岳神社(画像出典:グーグルマップ)

白岳神社

中津良小校区にある「白岳(しらたけ)神社」には、伊耶那美命と保食命が祭神として祀られています。

1000年前以上前の陽成天皇の御代の創建とあり、もともと西側の白岳=しらたけ(標高301m)の山頂にお社があり、陽成天皇の勅使がふもとから遥拝した際に、眼前に霊石が落下し、その場所が現在の白岳神社であるといわれています。

同じ長崎県の佐世保市白岳町にも歴代の平戸藩主によって大切に守られてきた同名の「白岳神社」がございますが、中津良の白岳神社とは関連はございません。

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