大島東・大島第三小学校 [令和4年・平成6年閉校] 佐世保市立
長崎県の廃校・校跡

大島東・大島第三小学校 [令和4年・平成6年閉校] 西海市立

  • 57
  • 1

『大島東(おおしまひがし)小学校 』は、長崎県西海市の大島町のうち、黒瀬・馬込・真砂・間瀬本町・瀬東町・寺島・百合丘・徳万・蛤・中央地域(大島東小校区)の子どもたちが通っていた小学校です。

初代の大島東小学校は、西彼杵郡大島町2170番地にありましたが、1994年(平成6年)に大島第三小学校と統合し、大島第三小学校の校地に二代目の「大島東小学校」が誕生しました。

現在、校舎は2022年(令和4年)に開校した「大崎小学校」に引き継がれています。[2]

大島東(おおしまひがし)小学校の閉校式はいつ?
大島東(おおしまひがし)小学校の閉校式はいつ?

大島東小のバルーンリリース(画像出典:西海市広報令和4年5月号)

「西海市立大島東小学校」の閉校式は、2022年(令和4年)3月12日(土曜日)にとりおこなわれました。

閉校式では、児童代表のことばやバルーンリリースなどがおこなわれ、学校への感謝を伝えました。[3]

2022年(令和4年)4月1日に崎戸小学校・大島西小学校と統合し、新しく開校した「大崎小学校」へ通うことになりました。

大島東(おおしまひがし)小学校の校歌
大島東(おおしまひがし)小学校の校歌

閉校記念碑に刻まれた大島東小の校歌

1.海の香りの とどく町
幸い多き 大島に
理想を高く かかげつつ
今日も明るい 歓声ひびく
栄えあれ 栄えあれ
大島東小学校

2.朝日に映える 百合ヶ岳
愛があふれる 大島に
心を育て 身をきたえ
楽しく学び 励む日々
光りあれ 光りあれ
大島東小学校

3.希望の明日 ひらく橋
永久に栄える 大島に
友愛かたく 結びつつ
はじける笑顔 校庭に満つ
恵みあれ 恵みあれ
大島東小学校 [2]

大島東(おおしまひがし)小学校 [西海市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 大島東小学校
住所 〒857-2413 長崎県西海市大島町1922−2
閉校年月日 2022年(令和4年)
沿革 旧・大島東小学校(初代)

1886年(明治19年)9月 – 「簡易黒瀬小学校 蛤分教場」が設置される。
1890年(明治23年)4月 – 「尋常黒瀬小学校 蛤分教場」に改称。
1892年(明治25年)5月 – 「黒瀬尋常小学校 蛤分教場」に改称。
1904年(明治37年)- 蛤分教場が間瀬海岸近くに移転し、「黒瀬尋常小学校 間瀬分教場」に改称。
1913年(大正2年)- 間瀬分教場が徳万(徳万谷の滝近く)に移転し、「黒瀬尋常小学校 徳万分教場」に改称。
1915年(大正4年)- 「黒瀬尋常高等小学校 徳万分教場」に改称。
1936年(昭和11年)4月1日 – 徳万分教場が徳万町住に移転。
1937年(昭和12年)12月 – 5教室を増築。
1939年(昭和14年)4月1日 – 黒瀬尋常高等小学校から分離し、「徳万尋常小学校」として独立(創立年)。児童数528名(9学級)
1940年(昭和15年)7月5日 – 旧校舎を移築。
1941年(昭和16年)4月1日 – 国民学校令の施行により、「黒瀬村徳万国民学校」(初等科6年のみ)に改称。
1944年(昭和19年)4月1日 – 高等科(2年制)を併置。
1947年(昭和22年)4月1日 – 学制改革(六・三制の実施)が行われる。旧・国民学校の初等科が改組され、「黒瀬村立徳万小学校」(6年制)が発足。旧・国民学校の高等科と青年学校が改組され、「黒瀬村立徳万中学校」(新制中学校3年制)が発足し、当面の間小学校と大島鉱業所修道館青年学校に併設される。
1949年(昭和24年)2月13日 – 新校舎1棟が完成。4月1日 – 黒瀬村が町制施行を行ったため、「黒瀬町立徳万小学校」「黒瀬町立徳万中学校」に改称。7月1日 – 町名が「黒瀬町」から「大島町」へ改称され、「大島町立徳万小学校」に改称。
1950年(昭和25年)3月31日 – 2教室を増築。それでも教室は不足し、3学年の一部で二部授業を実施。
1951年(昭和26年)9月1日 – 「大島町立大島東小学校」(中学校は「大島町立大島東中学校」)に改称。
1954年(昭和29年)9月1日 – 4教室を増築。
1955年(昭和30年)1月 – 南分校を設置。3月 – 完全給食を開始。4月 – 児童数が最大の1942名を記録する(大島炭鉱最盛期)。12月20日 – 南分校に8教室が完成。
1956年(昭和31年)1月9日 – 増築した南分校へ本校から1年4学級と2年3学級が移転。4月1日 – 南分校が分離し、「大島町立大島第三小学校」として独立。
1958年(昭和33年)10月4日 – 校旗と校歌を制定。
1960年(昭和35年)3月18日 – 完全給食を開始。
1962年(昭和37年)10月31日 – 土俵が完成。
1968年(昭和43年)3月15日 – 鉄筋コンクリート造の校舎が完成。9月14日 – 運動場を拡張。
1970年(昭和45年)3月7日 – 体育館が完成。5月15日 – 旧校舎を解体。9月1日 – 大島炭鉱が閉山し、児童数が激減する。4月時点で714名、9月には289名、翌4月には172名に減少。
1977年(昭和52年)4月1日 – 中学校統合により、中学校区が大島町立大島中学校に変更となる。
1981年(昭和56年)2月26日 – 給食室を焼失。
1985年(昭和60年)1月 – 給食を自校調理方式からセンター方式に変更。
1989年(平成元年)2月18日 – 創立50周年記念式典を挙行。
1994年(平成6年)3月31日 – 閉校。旧・大島東小学校校舎は閉鎖される。

旧・大島第三小学校

1956年(昭和31年)4月1日 – 大島町立大島東小学校から南分校が分離し、「大島町立大島第三小学校」として独立。児童数 660名(12学級)。校舎不足のため、4学級(2年1学級と3年3学級)を大島町教育会館と大島東小学校に分散して収容。2年2学級で二部授業を実施。5月12日 – 開校式を挙行。大島鉱業所よりピアノが寄贈される。8月1日 – 校章を制定。8月31日 – 6教室を増築。11月10日 – 給食室が完成。
1957年(昭和32年)2月18日 – A型給食を開始。6月18日 – 第二校舎が完成。9月20日 – 校歌を制定(作詞は浜口雅、作曲は迫新一郎による)。
1959年(昭和34年)4月 – 児童数が最大の1,380名を記録する。8月30日 – 8教室を増築。
1963年(昭和38年)4月6日 – 大島町立大島西小学校本郷分校の廃止に伴い、児童が転入。
1967年(昭和42年)4月 – 体育館が完成。
1970年(昭和45年)9月1日 – 大島炭鉱が閉山し、児童数が激減する。4月時点で644名、翌4月には220名に減少。
1979年(昭和54年)12月14日 – 校舎を改築。
1981年(昭和56年)3月31日 – 旧校舎の解体を完了。
1985年(昭和60年)1月 – 給食を自校調理方式からセンター方式に変更。
1994年(平成6年)3月31日 – 閉校。旧・大島第三小学校の校舎が新・大島東小学校の校舎として使用される。

旧・大島東小学校(二代目)

1994年(平成6年)3月31日 – 初代・大島東小学校と大島第三小学校が閉校。
4月1日 – 2校を統合し、旧大島第三小学校の校舎を使って、新しい「大島町立大島東小学校」が開校。12学級、児童数359名でスタート。
4月6日 – 開校式をとりおこない、新しい校歌と校章を制定。
2000年(平成12年)3月24日 – パソコンを設置。
2005年(平成17年)4月1日 – 西海市の発足により、「西海市立大島東小学校」と改称。
2013年(平成25年)4月1日 – 中学校統合により、中学校区が西海市立大崎中学校に変更となる。
2022年(令和4年)3月31日 – 閉校。4月1日 – 大島東小学校校地に「西海市立大崎小学校」が新設。[1]

西海市立大島東小学校の校舎

西海市立大島東小学校の校舎

大島東小学校の旧校地は、西彼杵郡大島町2170番地でした。

初代・大島東小学校の校舎はすでに解体され、跡地には住宅が建っています。畑のそばには、二宮尊徳像と閉校記念碑が残されています。

西海市立大島東小学校の校舎

こちらは、旧・大島第三小学校で1979年(昭和54年)に改築された、鉄筋コンクリート造3階建ての校舎です。[1]

現在は、崎戸小・大島西小と統合してできた「大崎(おおさき)小学校」の校舎として、利用されています。

西海市立大島東小学校の校舎

体育館は、1967年(昭和42年)にできたものです。

西海市立大島東小学校の校舎

校地は、タイル舗装されていて、校舎の近くには、大島武道館・大島図書館・大島文化ホールが並び、学校と地域の施設がまとまって配置されています。

西海市立大島東小学校の校舎

学校前のレンガ造りの校門です。造船のまちといった誇りが感じられます。

西海市立大島東小学校の校舎

大島東小学校から現在の大崎小学校へ引き継がれた校門は、左側の大島文化ホールのレンガ造りの外壁とも統一感があります。

西海市立大島東小学校の校舎

校舎右側に並ぶ、大島武道館と、大島図書館です。

西海市立大島東小学校の校舎

校舎のすぐ近くに図書館があり、学校の子どもたちだけでなく、地域の人も利用できる環境になっています。

大崎小学校の校地の奥には「大島こども園」も隣接しています。

西海市立大島東小学校の校舎

めずらしく、開校記念碑がありました。閉校記念碑は多くみますが、開校記念碑はたまにしか見かけないので貴重だと思います。

旧崎戸小・大島東小・大島西小の子どもたちの新たなまとまりを願って、作られたのでしょう。

大島東(おおしまひがし)小学校があった場所

大島東(おおしまひがし)小学校がある場所

大島東小校区(画像出典:学区マップ)

大島東小学校(現:大崎小)があった場所は、長崎県西海市の大島町です。

校区は、大島町のなかの黒瀬・馬込・真砂・間瀬本町・間瀬東町・寺島・百合丘・徳万・蛤・中央地区になります。

大島町は、長崎県の西彼杵半島の北西沖にある「大島(おおしま)」と東側の「寺島」で構成されています。

1949年(昭和24年)6月30日までは「黒瀬(くろせ)村」、それ以降は「大島町」という独立自治体として機能していた町です。

もともとは、小さな漁村でしたが、1935年(昭和10年)から、炭鉱が本格的に開発され、1960年(昭和35年)の国勢調査では、旧大島町の人口は18,373人を数え、炭鉱で栄える町となっていました。[6]

しかし、エネルギー革命の影響で、1970年(昭和45年)に閉山し、多くの人々は新しい職場を求めて町外へ流出しました。

その後、町の企業誘致の努力が実って、1973年(昭和48年)からは「大島造船所」が設立され、翌年から操業がはじまり「炭鉱のまち」から「造船のまち」へと移り変わっていきました。[8]

現在、西海市大島町は、造船のほかに「完熟トマト(大島トマト)」などの新しい産業の開発や、長崎県内2位の生産量を誇る「焼酎」作りにも取り組んでいます。[7]

大島東小校区の歴史
大島東小校区の歴史

百合ヶ岳公園からのぞむ大島町間瀬本町地区(出典:グーグルマップ)

大島東小校区は、江戸時代は肥前大村藩の領下で、外海(そとめ)に属していました。

特に、江戸初期は「大島のうち」とだけ記載されることが多く、1644年(正保元年)には、異国船などを見張るための「吹切(ふつきり)番所」が置かれました(黒瀬番所ともいわれている)。

また、キリシタンであることが発覚した武士や、年貢を使い込んだ人、殺人などの罪を犯した人が、罰として黒瀬へ送られたといわれています。[9]

1814年(文化11年)には、大村藩が大島南部で小規模な石炭採掘をおこなった記録がありますが、数年で廃止されました。[10]

1889年(明治22年)の町村制施行により、大島にあった本郷(黒瀬郷)・大島郷・寺島郷・間瀬郷・蛤郷・徳万郷・太田尾郷・中戸郷・塔尾郷・塩田郷の10の郷が合わさり、黒瀬(くろせ)村が発足しました。

炭鉱町としての大島町の盛衰

1935年(昭和10年)、松島炭鉱株式会社が、大島炭鉱の第1坑(間瀬)の開発に着手し、翌年より出炭を開始しました。[5]

1949年(昭和24年)4月には、炭鉱により人口が増えた黒瀬村が町制を施行して「黒瀬(くろせ)町」となり、同年7月1日には「大島(おおしま)町」と改称します。

1956年(昭和31年)、大島東小学校の南分校が独立し、児童660名・12学級の「大島第三(おおしま)小学校」が誕生しました。

1970年(昭和45年)に大島炭鉱が閉山すると、大島第三小学校の児童数は644名から翌年には220名まで減少しました。[1]

1973年(昭和48年)には、大島造船所が設立され、島民のあらたな雇用が生まれます。

1994年(平成6年)、初代・大島東小学校と大島第三小学校が閉校し、2校を統合した新しい「大島東小学校」が誕生しました。校舎には、大島第三小学校のものが引き継がれました。

2005年(平成17年)、大島町はほかの西彼町・西海町・崎戸町・大瀬戸町と合併して、「西海(さいかい)市」が誕生しました。[12]

現在、大島東小学校の校区は、現在の長崎県西海市大島町にあたります。

大島東小校区の名所

大島東小校区の名所

百合ヶ岳公園から見える星空(出典:グーグルマップ)

百合ヶ岳公園

「百合ヶ岳公園(ゆりだけこうえん)」は、大島で最も高い標高194mの百合岳にある公園です。うずまき型の展望台からは、五島列島・平戸島・西彼杵半島などを望むことができます。[4]

公園内には、彫刻家の新宮晋氏が設計したモニュメント「星のなる木」があり、夜にはライトアップされています。

駐車場・トイレ・自販機が併設されていますが、煮炊棟の老朽化にともない、令和4年4月1日以降は「キャンプ」を目的としたご利用はできなくなりましたのでご注意ください。[11]

参考資料・出典

[1] ウィキペディア 西海市立大島東小学校
[2] 筆者による現地調査、2026年2月23日実施
[3] 広報さいかい 2022年5月号
[4] SAIKAI観光サイト「百合岳公園」
[5] 津島軽便堂写真館「大島炭鉱跡」
[6] 国土交通省「土地分類基本調査 佐世保南部」
[7] 長崎県「第2次産業と地域」
[8] 大島造船所ホームページ
[9] 日本歴史地名大系「黒瀬村」の解説
[10] 日本歴史地名大系「大島炭鉱跡」の解説
[11] 西海市ホームページ 百合岳公園のキャンプを目的とした利用の中止について
[12] ウィキペディア 西彼杵郡

このページのまちがいを教えてください

さらに詳しくこの地域を知る↓

西海市とその地域 [長崎県]
西海市とその地域 [長崎県]

運営会社